キリスト教について雑感
何十年も前、キリスト教系の大学に籍をおいていたことがありました。
キリスト教に興味があったというより、異質な文化を理解してみたという単純な気持ちがあったように思います。
ろくに勉強もせずに地元に帰って家を継いだので、まとまった知識もなく、本の拾い読み程度でこの年になってしまいました。
稚拙な文章で申し訳なく、恥ずかしい気持ちもあるのですが、キリスト教について抱いていることを少し書いてみました。
ひとりの聖人が死んで、その生き方、言葉を理解するのに人は重い経験と苦難、そしてそれを自分の衣に代えるには、十分な時が必要です。
時代と歴史がかけ離れたこの日本で、二千年以上昔の聖書の言葉を文字通り理解し受け入れることは難しいように思います。
原罪や贖罪、私たち日本人の基底にある心のありようでは理解しにくいことに違いありません。まして、日本文化の歴史の流れを自分の血の中に持っているいることを自覚しているなら尚更のことです。
もし見いだすとしたら、自我を越えたものと私という一人の人間がどう向き合うか、自我レベルの解釈だけで保留してしまいがちな世界観に「神」の側から問われる「私」にどう答えるか、はるかな時を超え、異質の文化を越え、人間の心底に顕現するものを体感できるか・・・その問いかもしれません。
キリスト教は、イエスが説いた宗教と思われていますが、イエスの弟子たちがイエスこそキリストだと宣べ伝えてたところから始まったと言われます。
おそらくイエスの弟子たちは、イエスが生きている間はイエスを理解できなかった。
イエスが伝えたかったことは? イエスの語った神の国とは?
今まで彼らが思い描いていたキリストの像とはあまりのかけ離れたイエスの言葉を彼らは理解できなかった。
そしてイエスの死後(おそらく時間は要したと思います)、はじめて彼らは、イエスを理解した。イエスのその領域と広がる時空を、過酷な現実の中で体現した。
人間の深い真実とは? その時、彼らはイエスをあのように生かした働きを自らのうちに見いだして、それを復活のキリストの働きと信じた。
自分たちの中に自分たちを超えた力が働いているということを自覚した時、はじめてイエスが言ったこと、したことが、了解できるようになった。
彼らには、かつてイエスが語っていたものが、いまや彼らのうちに働いていると思われた。
イエスが死んで三日後に甦ったとされる復活物語は、現代の私たち日本人になかなか受け入れることはできませんが、イエスの弟子たちが自らを超えたものに触れたとき、「キリストが私の中で生きている」と認識して、イエスは甦ったのだと信じた。
パウロは「もはや自分が生きているのではなくて、キリストが私の中で生きているのだ」(ガラテア人の手紙)
イエスが「神の支配」と称したものを弟子たちは「甦りのキリスト」と理解した。
それは当時の人たちは偉大な人が死んだ後で弟子あるいは後継者がその人と同じような働きをすると、偉大な人が甦ってその力が後の人の中で働いている考えたからだと言われます。
最初のマルコ福音書ができたのは、イエス死後40年後とされています。
死をも安堵と思える神の導き、今この時に吹き感じる心の震えは、神が導く領域の入り口かもしれなれません。
イエスの死後、数十年経って「福音書」ができました。
もちろん、それ以前に基となった資料(Q資料)はあったと言われていますし、異種の福音書も存在していました。
紀元70年代、第一次ユダヤ戦争でローマ人によりエルサレム神殿が破壊され、原始キリスト教団とユダヤ教は別れ、マルコ福音書が書かれたのは、その頃だと言われています。
パウロの書いた書簡は、49年~55年頃とされており、福音書ができる以前になります。
マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの福音書は それぞれに異なった場所で、異なった教会の教徒を対象に書かれた文章のようです。
すなわち初期のキリスト教は後の時代ほどには統一された教義を持たず、色々な宗派の乱立する状態であったと推定されます。
正統派教会が公に他の宗派を排斥できたのは四世紀コンスタンチヌス帝のキリスト教公認後までまたなければいけなく、そして正典化はすなわち二世紀後半から150年ほどもかけて行われたという、長い道のりがあります。
各教会のもつれ、キリスト教徒への迫害、ローマ帝国の思惑、ローマ皇帝の改宗、ユダヤ教の分裂、複雑な歴史の絡みの中で、イエス以後300年以上ののち、キリスト教は政治に組み込まれた国教として広がったとされています。
それ以降、キリスト教は西洋を基盤に多様な変遷を経て今日に至っています。
僕と聖書との出会いは、途切れ途切れで、決して胸を張って読んでいるなどとは言えません。
まして旧約は拾い読み程度で、その背景や時代については殆ど理解していないと思っています。
ただ、昔そんな拾い読みで未だに残っている言葉があります…「それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。」エゼキエル書18章
それほどインパクトのある文章ではないのですが、これはマタイ福音書20章でよく引き合いに出される「ぶどう園の労働者のたとえ」に何となく違和感を感じていた頃、ふと聖書めくっていたら目に入った言葉で、神と人間との関わりを示唆してくれる言葉でした。
私たち日本人は、自らの人生の評価をぼんやりながら、60点から80点としている人が6割位といわれます。
特別、罪を犯したわけでは無く、社会の中で精一杯生き、それぞれに家庭を持ち、それぞれに老い、いずれ死に向かい合って、山の彼方にある黄泉の国で先に逝った肉親や連れ合いに会えると・・・ことさら意識せずに思っている人々が半数です。
そしてその半数の人たちは、この「ぶどう園の労働者のたとえ」で一番遅く来てぶどう園の主人から朝早くから働いていた人と同じ賃金をもらったことに不満を感じる人たちです。
でも主人は言います「あなたになにも不当なことはしていない」と。
周りとの順列や比較、ランキング好きな日本人には聖書のたとえは受け入れがたいものがあるのかもしれません。
ただ、神の視点からすれば真逆なものになります。
私たちを越えた神の目からすれば「おまえが良しとする心の深みを私はおまえ以上に知っている。
周りを見て安堵しているおまえの心の淵をすべて私は知っている。 故にわたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く。」と
それぞれに裁かれる私は、この時、神に向き合わざるを得なくなります。
50点と思っていた私は、そんな思い込みなど外れて、個として自我のレベルを超えたものに対面することになります。
神と対面、関わりということはなにも強要でもなく、必然でもありません。
でも、自分の人生で苦に満ちた時が募り、救いを切望する人間は、このぶどう園に最後に来た労働者です。
その人間に一デナリオンは、神の救いと赦しと言って良いと思います。
人は、それぞれの道を歩み、その時その時の自分を納得させ、言いくるめ、思い込ませて、生きてゆくのかもしれません・・・時に人と比べ安堵し、時に明日の生活に困ることなく、当たり前に未来の生活が続くことをどこか当然のように主張しながら
キリスト教との出会いは、自我を越えたものの働きとしての神の視座を、思いあぐねた時、投げかけてくれているように思います。
「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」